アイドルテクノ 

perfumeというアーティストがネット上で結構話題になっているぽっい。なんかアイドルテクノ歌うの少し抵抗がある。「こらぁ〜、テクノをそっちにもっていくなぁ〜。つーか、なんでもそっちにもってくな!音楽業界者!」と言いたい。ただ、ちょっと聞いてみると、ちょっとのれたりする。だけど、やっぱ、アイドルに歌ってほしくないな〜。さめるもの。あの笑顔付き振り付け見てると。さぶいよ〜。

 

ジョギングするいつものコース。
江戸川の河川敷がターニングポイントだ。
日曜の昼間。
河川敷の坂で大の字で寝る。
太陽が落ちて行くのをみている。
自分で書いていても信じられないし。
これを見ている人も笑うかもしれないけど。
感動して涙することがある。

なんで泣くのか。
太陽の光に感動しているのだけど。
それだけではない。
何かが自分の中にこみ上げてくる。
とても悲しくて。
とても悔しくて。
とてもつらくて。

日々の日常の中で、感じる無力感。
とても不自由な毎日。
一生懸命、働いて、仕事しても思い通りにならない現実。
もっと深い哲学でもって、物事を考えたり。
もっと合理的な効率でもって、行動したり。
もっと深い思いやりでもって、人を気遣ったり。
もっと深い尊敬でもって、人の成長を応援したり。
自分が考える自由というこういうものだと
そいうことをもっとうまくやりたいと思うのにできていないという歯痒さ。
自分の理想と現実のギャップがうまらない。
そんなものが河川敷で太陽を見ているとこみ上げてきて、
悲しくなって、
悔しくなって、
つらくなって、
泣いてしまうのだと思う。

ヴィクトールの「夜と霧
映画のライフイズビューティフル
を見て感動したり、ある種のカタルシスが満たされるのも、
程度の違いこそあれ、本質的な部分で同じこともあるのだと思う。
不自由の生活の中で、目にする夕陽に日常生活以上に感動してしまったりするのは、自由への渇望が大きくなっているからだと思うのだ。

そこで、疑問になるのは、今の日本の社会システムである資本主義は自由なのか。
自分を自由にしてくれているのか。

大学時代にヒッピーに憧れていた。
電車の中の大人たちがお世辞にも幸せだとは思えなかったからだ。
おそらくサラリーマンである大人は、
疲れきっていて、
譲り合いの精神に乏しく
座席に座ることしか頭になく。
道ばたで平気な顔して、つばをはく。
個性が大事というくせに、個性をつぶす世の中を作っている。
政治家はお金をやくざに渡して、政治活動するし。
人生の目的が会社での出世することにすり替わって。
しだいに、音楽も聞く余裕がなくなって、
人と会話することの大切さすらなくなって。
夫婦という存在理由が、子供とセックスだけになって。
これが大人というものだと思っていた。

だからこそ、数年前の自分は、そんな現実ではなく、もっと気が抜けた状態の方がいいじゃないかと潜在的に思っていたのだと思う。
ラブ&ピースを強く願い、ビーチ沿いで、生活する。
そんな生活が真に幸せなのだと。
とてもすてきな世界だと潜在的に思い、ヒッピーに憧れていた。
だからこそ、そんなものが体感できる外国を旅行していたのだと思う。

ただ、インドや中国や東南アジアを回って感じたのは、ヒッピーライフというのは嘘だと言うことだった。
こんなものは、非現実的で、具体性に乏しくて、無力で、
まさに、天国のようなものだと感じた。
天国のイメージは幸せで、どこか満たされてい、やわらかく、優しくて、と、そんな感じだが、具体性に乏しくて、おもしろさにかけている。
一方、地獄のイメージは、痛くて、恐ろしくて、むごいけど、具体的で、創造性あふれていて、おもしろい。
つまりは、リアルな大人の世界が自分にとっておもしろい場所なんだと腹に落ちた。

こんなことは賢い人ならもっとまえにわかっていたかもしれないし、そもそも、大人の世界自体に疑問すらもたなかったのかもしれない。
ただ、僕は考えるより、先に体が動いてしまうところがあるからかもしれない。

そして、今、疑問に思うことは、その大人の世界というか、今の日本の社会システムだ。
つまり、資本主義は人を幸せにしているのか。
すべての人間に値札がついているという現実。
人間みな平等といいながら、能力のない人間に淘汰圧をかけている。
成果主義のいくつく先に、幸せになるものがあるのか。
そんな厳しい社会システムに命をかけていいのか。
自分の人生が、その社会システムの中に入ることで、成果主義というものに置き換わってしまうのではないか。
自分の生きる意味が、ただ成果をあげることだけに濃縮してしまっていいのか。

そんな疑問が絶えず頭をよぎる。

もちろん、資本主義に反対する考えもったとしても、社会主義国に国籍を移すというほどの勇気はない。
だが、こんな疑問を持ったまま、サラリーマンになっても、どこか冷めた視線で仕事をするようになってしまうかもしれない。
だからこそ、4月前にこの疑問を解消したい。

だから、3月上旬から2週間程度、キューバに行こうかと思う。
日本とまったく異なる思想でもって、構築された社会がどうのようなものなのか。
そして、その社会で生きている人たちはどのような生活をしているのか。
幸せなのか。それとも、退屈なのか。
興味があるのだ。

頭で考えるよりもさきに体が動いてしまう性分だから、しょうがない。
前回のインドの旅行のように、退屈なだけと判を押すだけかもしれない。
はたまた、タコスがおいしかった程度の感想しかないかもしれない。
だけど、無性にいきたいのだ。
キューバで考え、思ったことに、ちょっと自分の中で気づきが生まれる。
その気づきが判断軸に影響を与え、その判断軸がある種の選択を変え、
その選択がある種の習慣を変え、その習慣がある種の人格に変え、
その人格がある種の運命をかえるかもしれない。
その可能性がわずかでもあるのであれば、損はないと思うのだ。

成果主義の先になにがあるのか。
それは命や人生をかけて取り組む価値のあるのものなのか。
知りたくなってしまった。